その九 仏になれる種
菩提樹下にて瞑想を続けられたお釈迦さまは、ついに悟りを得られました。そして、あまりにも深い悟りの内容に、心の底から感動され、「奇なるかな 奇なるかな 一切衆生 悉く 如来の智慧 徳相を具有す」と仰せになったといわれています。
全ての生きとし生けるものが持つもの
お釈迦さまが仰ったこの言葉は、
「不思議なことだ、不思議なことだ。生きとし生けるものには、仏の心と身体が具わっている」という意味です。
そして、お釈迦さまは、悟りの喜びを味わわれながら、
「生きとし生けるものは、心の中に、仏性を持っている」「誰もが仏性を持っている」と、繰り返し仰いました。
なぜ、お釈迦さまは、私たちが、仏の心と身体、仏性を持っていることを何度も叫ばれたのでしょうか。
それは、仏性とは「仏になれる種(因)」のことで、仏性を持つことは、「仏になれる可能性を持っている」ことになるからです。つまり、誰でも、お釈迦さまが追い求められた苦しみのない世界に至ることができる、ということです。
お釈迦さまは、出家された時から、自分が悟りを得たならば、周りの人々を苦しみから救いたいと願っておられました。だからこそ、悟りを得られたお釈迦さまは、全ての人々が仏性を持っていることに気づかれ、苦しみから救えることに感動されたのです。
人々を救うために
お釈迦さまが深く感動されて、何度も仰ったように、私たちは仏性を持っており、苦しみの解決をすることができます。しかし、そのことに気づく人はほとんどいません。なぜなら、私たちが持つ仏性は、快楽を求める心や疑いの心などの様々な汚れに、いつも覆われているからです。
そのまま、仏性が汚れに覆われていると、私たちは、これからもずっと苦しみの世界の中で生きていかなければなりません。そのような私たちが、苦しみから逃れるためには、まず、「救われたい」と願う心を持つことが大切です。
ところが、どれだけ大切であるかが分かったとしても、私たち人間は、目の前のことばかり追い求め、その心をすぐに忘れてしまいます。それでも、お釈迦さまは、人々のそのような気持ちを理解され、それぞれの人に応じた御説法をされることで、次々に、人々を救っていかれたのです。