その十九 因果の道理
仏教教団が大きくなっていく中で、お釈迦さまの二大弟子とも呼ばれる
「舎利弗尊者」と「目連尊者」が、教団に加わります。
二人は、お釈迦さまの教団に加わる前から悟りを求め続けていました。
ある時、舎利弗尊者は、お釈迦さまの弟子の一人から教えを聞き、お釈迦さまこそが、求め続けた答えを持つ人であると確信します。
蒔かぬ種は生えぬ
舎利弗尊者が聞いた教えとは、
「物事は原因から生じる。如来はその原因を説かれ、また、その消滅をも説かれる」というものでした。
仏教では、私たちが受ける結果は自分自身に原因があると説き、そのことを「因果の道理」といいます。
私たちが普段使っている「自業自得」という言葉や、「蒔かぬ種は生えぬ」ということわざも、因果の道理を表しています。
種(原因)を蒔かなければ、花や実(結果)が生じることはありません。反対に、種を蒔けば、その種に応じた花や実が生じるということです。
仏教ではさらに、善い種を蒔けば、好ましい結果を受け、悪い種を蒔けば、苦しい結果を受けるという教えを説いています。
善い種を蒔き 善い縁に触れる
「因果の道理」を聞いたみなさんの中には、教えに納得できない人もいるのではないでしょうか。
たとえば、夜遅くまで起きていて朝寝坊をしてしまった場合であれば、「自分が夜遅くまで起きていたことが悪かった」と思うことができるでしょう。
では、どれだけ努力しても報われない場合や、突然事故に遭って怪我をしてしまった場合はどうでしょうか。このような時、「自分自身に原因がある」と思うことは難しいことです。
しかし、私たちは自分の知らない間に、様々な悪い種を蒔いています。数年、数十年前、それ以上前の過去世に蒔いた種が原因となって、今の私たちに結果をもたらすこともあるのです。
なぜなら、蒔いた種は、条件が揃ったものから結果として現れるからです。仏教では、この条件のことを「縁」といいます。
触れる縁、つまり、条件・環境によって、私たちが蒔いた種は結果を変えます。たとえ悪い種を蒔いたとしても、善い縁に触れれば、「大難は小難に、小難は無難に」なるのです。
そして、縁の中で最も善いものは、仏さまと結ぶ縁です。仏さまとの縁は、私たちが蒔いてきた悪い種が芽吹くのを防いでくれます。
これから悪い種を蒔かないためにも、善い縁に触れるためにも、仏さまとの縁を結びましょう。